紅蓮

紅蓮

投稿者:ナヅキ

 燃えている。
 木も、布も、ひとも、魔物たちも、何もかも。

 あのひとが造りあげたもの、
 あのひとの下に集まったもの、
 あのひとに敵意を抱くもの、すべてが。

 燃えている。赤く。





 がくりと膝が崩れた。立ち上がる体力はもうない。
 すかさず包囲の輪を狭めた魔物たちが次々に、その爪を、牙を、持てる毒を浴びせてくるのを、ヨハンはその身に受けた。
 もう、立ち上がれない。痛みも熱も感じない。
 激しい動きのせいで、サソリの毒が一気に回ってきたのだ。

 いや、しかし、まだ。

 まだ、眼を閉じるわけにはいかない。
 ヨハンは残った力で剣を振るうが、その切っ先はたよりなく空を切ったにすぎなかった。ごとりと腕が落ちる。どれほど力をこめても、もう指の先さえ動かすことはできない。
 あの忌まわしい毒が、今このタイミングで、彼の命を奪おうとしている。
 ――よりによって、こんなときに。
 腕や足が毒によって使い物にならなくなっていったように、徐々に身体の中心まで麻痺がやってくるのだろう。
 一気に死に至るような毒を使わずに、こんなにじわじわと、恐怖を与えるやり方を選ぶのが、サソリらしいといえばそうだった。
 ただ、ヨハンは恐怖を感じることはなかった。少なくとも、死の恐怖は彼の傍にあるものではない。
 毒のせいか、炎や熱や煙のせいか、ぼやける視界を必死に瞬きして拭おうとする。
 手足はぴくりとも動かないが、まだ気力だけは残っていた。
 この身に宿る最後のアニマで、あの魔物たちを消し去れたら。
 ヨハンのその必死の思いも、術を発動させるまでには至らなかった。


 悔しい。
 悔しい。
 俺はあのひとに、命を与えてくれたあのひとに、何かを返すことができたのか?
 ここを守ると、誓ったのではないのか?


 魔物たちは倒れて動かないヨハンから興味を失ったように、砦の扉に集まり始めた。
 頑丈に作られているとはいえ、この炎と魔物たちの勢いをもってすれば、扉が破られるのも時間の問題だろう。

 ああ、陛下。
 ギュスターヴさま。

 ヨハンが喘ぐような吐息をこぼしたとき、その扉が内側から弾け飛ぶように開いた。
 扉を開けたのは、炎を映して紅蓮に輝く鎧をまとい、押し寄せる熱波さえ切り裂くであろう長大な鋼の剣を携え、未だ漲る戦意を瞳に抱く、彼の王。
 業火の中、ただ、凛と。
 炎より明るく、強く、砦に君臨するもの。


 鋼の王、ギュスターヴだった。


 ギュスターヴは倒れているヨハンに目をやった。まだ息があることを見抜いたのだろう、魔物たちの間合いに入ることを恐れず門前に踊り出て、ぶうんと大剣を薙いだ。
 一匹の魔物が胴を裂かれて崩れ落ち、生き延びた魔物たちも怖気づいたように後退する。
 空いた空間を無造作に無防備に、ずかずかとヨハンのもとまで歩いてきたギュスターヴは、ぼろぼろになったマントを外して、ヨハンをくるんだ。

「ギュスターヴさま」

 呟きは、声になったのか。
 ヨハンの王は傷だらけの顔で、にやりと笑む。
「ヴァンを逃がしてフリンが戻ってきた。……仲良しこよしで砦の中は片付いたぞ。全軍、無事に撤退させた」
 戻ってきた、という割に、今傍らにフリンの姿がないことに、ギュスターヴは触れなかった。
 ただ、決して戦いのすべに長けているとはいえないフリンを置いて、王ひとりがやって来たはずがない。
 おそらく、フリンのアニマも、還ったのだ。
 砦の裏門から撤退の指揮を執っていたギュスターヴが言うのだから、もう砦の中は無人だろう。
 砦こそ失われるが、軍を撤退させたというのであれば、ギュスターヴの勝利だった。

 では、陛下も早く、外へ。

 言いかけたヨハンを、がしゃりと重い音が遮る。ギュスターヴが鎧を脱いだのだった。
 鋼の鎧を着ていては戦えぬほど、ギュスターヴも疲労しているのだ。
 鎧、小手、具足、彼の考案した脱着が容易な鎧が次々に彼の身を離れてゆく。鎧下、普段着ともいえる軽装には、無残な傷跡や火傷が無数にあった。
 そして再び、剣を構える。もうヨハンからは、彼の背しか見えない。
 そこでようやく、王の右脚に深い傷があることにヨハンは気づいた。ただ立っているだけで、血溜りができるほどの傷。
 逃げ切れるものではなかった。
 血止めの対処で間に合う傷でもなかった。
 つまりそれは、術を使えぬ王にとって、命を奪うに足りる傷なのだ。
 利き脚に深手を負いながらも、王の振舞いに乱れはない。
 剣を取った彼に、再び魔物が間合いを寄せてくる。

 あくまで冷静に、王が背中で告げた。
「ヨハン、よくやった。俺が守るべきものは、すべて守った。……お前が、守ったんだ。聞こえるか?」

 はい、と言ったつもりだったが、もう声は出なかった。
 代わりにまた、視界がぼやけた。
 それが涙のせいなのだと気づいても、その涙を止めることはできない。

「あと俺が守るべきは、お前だ。お前と、俺自身だ」

 ああ、ギュスターヴさま。
 なぜ。
 なぜ、こんなに、俺は。
 死の淵にいながら、歓喜に震えているのでしょう?


「お前自身を誇れ、ヨハン。お前は成すべきことを遂げた。胸を張れ。顔を上げろ。眼を背けるな!」
 王が咆哮する。


 涙が止まらなかった。
 ただ、嬉しかった。誇らしかった。
 彼に背を向けて立つ王は豪奢な金髪をなびかせ、高らかに、声を上げる。
 炎が揺らめく。
 まるで、金色の炎に包まれているような。
 彼の、ただ一人の王。


 ギュスターヴは舞った。炎の揺らめきに合わせ、強く激しく、時に緩やかに、優雅に。
 ヨハンは涙の海の中でそれを見、王の口元に笑みさえ浮かんでいることに気づく。
 いつでもこのひとは楽しそうだ、とそんな場違いなことを思った。
 思わず微笑み、ふ、と息を吐く。





 ギュスターヴは周囲に動く影がなくなるまで動きを止めなかった。
 炎の中に立っているのが己一人であることを確かめてから、傍らに自身の片割れともいえる鋼の剣を突き立て、空を仰ぎ見る。
 炎に照らされ、夜空は不気味に明るいが、星々の輝きまでは失われていなかった。


 今でも忘れることのできない、ワイドの隠し通路から眺めた朝日の、鮮烈な美しさを想った。
 そしてもう一度、明るい夜空を見上げ、ギュスターヴは満足げに笑む。

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投稿者:bau(実行委)

「南の砦で」のシナリオは私も大好きで、何度もプレイしながら感動していただけに、
思わず食い入るように拝見させて頂きました。
ギュスターヴの圧倒的な存在感、ヨハンの献身さ、そして二人の信頼関係。
これらが絶妙な心理描写と状況表現で描かれています。
私が気に入ったのは「あと俺が守るべきは、お前だ。お前と、俺自身だ」ですね。
「王」としての威厳を守りつつ、かつ2人の信頼を表している言葉で、じーんと来ました。

ナヅキ様、ありがとうございました!!

投稿者:ナヅキ

こんばんは、コメントありがとうございます。

ギュスターヴは、色々ありながらも、結局は人の上に立つ人物だったのだなあと思います。
同じようにヨハンは、上に立つ人を影から輔ける人だったのではないかと。
王と臣下の信頼関係、というのも書きたかったもののひとつなので、読み取っていただけて本当に嬉しいです。どうもありがとうございました!